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お久しぶりです。
前回の更新から2ヶ月近くも経ってしまいました。
この2ヶ月は毎日がすごいスピードで過ぎていき、
何をしていたのかほとんど覚えていない状態です。


卒業制作展の後は、3月10日(火)から
横浜のBankART Studio NYKで開催された
TETSUSON2011にて作品の展示を行なっており、
その展示期間中である3月11日(金)に東日本大震災が起こりました。
宮城県では30年以内に高い確率で大きな地震が起こると言われていましたが、
まさかこんな形でそれを経験してしまうとは思ってもいませんでした。
私自身は横浜の展示会場にいたので、ほとんど被害は受けませんでした。
ですが、会場のカフェに置かれているテレビを見ると、
石巻や名取、亘理町津波に飲み込まれていく様子が映されており、
その被害の大きさに脚が震えて立っていられませんでした。
そして、その後も余震が発生するかもしれないということから
その日の展示は中止となりました。
私は会場からすぐ近くのホテルに宿泊していたのですが、
都内等から電車で来ていたために帰宅することができず、
避難所で一夜を過ごした出展者の方もいたようです。
会期は3月13日(日)までだったのですが、
テレビやインターネットで流れている東北の様子を見ていると
とても不安で早く家族の顔を見たいという気持ちになり、
3月12日(土)で展示を切り上げ、仙台へと帰りました。
実家のライフラインは全滅で、携帯電話の充電ができないため、
メールのやりとりもままならない状態でした。
メールの返信が来ないことがこんなに不安になったのは初めてです。
実家は仙台の中でも標高が高い場所にあるので
津波の被害は全くありませんでしたが、
地盤の陥没や隆起、建物の崩壊がひどく、
通行止めになっている道路が何カ所もありました。
また、家のベランダからは遠くに海を望むことができるのですが、
それまでは木々が生い茂り、たくさんの工場が並んでいた景色が、
ただの茶色い更地のようになっているのがはっきりと見えました。
こんなに遠いところからも、画面を通さずに被害の様子が見え、
これが本当に現実なのかと混乱しました。


アパートの入居日の関係で、
3月31日(木)に仙台から神奈川へ向かったのですが、
仙台で過ごした3月14日(月)から3月31日(木)までの
様々なものやサービスの復旧の早さにとても驚きました。
電気が点いたときも、水道から水が出たときも、
ガスが使えるようになったときも、全て感動すら覚えました。


バタバタした状態の中、4月1日(金)から神奈川で新たな生活を始め、
これからお世話になる研究会も決定し、
なんとか良いスタートを切ることができました。
まだまだ地元の完全復旧までの道のりは長いようですし、
関東でも余震が増えてきたので不安な気持ちももちろんありますが、
ここで私が弱っていてもどうしようもないので、
やりたいことをやり、たくさんのことを吸収し、
少しでも大きく成長して、多くの人に何かを還元できるよう
一日一日を精一杯生きなければなと思います。
気持ちを切り替えて頑張っていきます!



わたしはどうだった?
やるしかない!やらなきゃ!