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そもそも大学院に入ってなにがしたかったのか、
一度研究計画書を見直してみます。
(以下は計画書の重要と思われる箇所を抜粋したものです。)

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《モノが氾濫する現代における、人とモノとの向き合い方に関する研究》


1.研究概要
...本研究では、ユーザーの様々なモノに対する考え方や捉え方、及びモノの選択に関する実態調査を通して、デザイナーがユーザーへ「使わせる」モノから、ユーザーが「使いたい(応用)」と思うモノをデザインするための指針の構築を行なう。...


2.研究に至る背景
〈 これまでの学習テーマ:人とモノとの距離を近づけるデザインについて 〉
...本研究では、物質として扱われてきた「植物」を、人が日常的に利用できる使い勝手の良い媒体に置き換え、物質に生命を与えたプロセスを身近なメディアとして再現するという点に着目したい。
現代において、「植物」は専ら観賞や贈呈のためのものと位置づけされているが、「紙」の材料として用いられたり、身を守るための防具・雨具や、器として使われていたという過去がある。これは、昔の人々が「植物」に対して大いに親近感を持っており、だからこそその「使い勝手」のよさにも気付くことができていたためだと考える。
本来人間は、必要なものを自ら生み出したり、あるモノにおける新しい使い方を次々と考え出したりと、モノに対する応用力を大変持ち合わせていたはずだ。近年のめざましい技術の発達は、人間が自分自身を機能へ近づけなければならなくなってしまったり、不必要なものまで自分の中に取り込まなければならなかったりと、モノに対する思考力を奪っているといっても過言ではない。...


3.問題意識
...「ユーザビリティ」においては、あるモノを使う際に発生する労力や思考がネガティブなものとされている。使い方が分かりやすく、しかも容易であるモノこそが「ユーザビリティ」の高い製品であると考えられているが、私はここに、現代の「ユーザビリティ」という考え方の問題があるように思う。この原因は、近年の我が日本などにおける高齢化により、以前と比べてますます「ユニバーサルデザイン」に注目が集まったことによるだろう。確かに簡単に自分の欲求を満たしたり、問題を解決したりすることができるのならば、それは大変に助かることである。
...しかし、人間自身に使い方を考えさせる隙を与え、そこで考え出された使用方法に合わせて自らの形や役割を柔軟に変化させることができるということも、ひとつの「ユーザビリティ」であると私は思う。
...モノは本来ある特定の用途にだけ使用されるものではなく、人間の思考によって、次々と新たな使い方が考えだされるものであると私は思う。だからこそ、モノを生み出すデザイナーは、使い方が明確に理解できるだけでなく、ユーザーへ他の使い方を考える余地を与えることも重要となるのだろう。...


4.研究の目的
...本研究の目的は、「ユーザビリティ」というモノの使いやすさの基準に、「フレキシビリティ」という要素を加え、ただ「使わせる」だけでなく、「考えて使わせ、もっと使いたいと思わせる」という新しいモノ作りの指針の構築にある。そして、これまでモノやデザインに対して受け身であったユーザー自身の創造力を引き出していきたいと考えている。...


5.研究方法
(省略)


6.研究の意義とまとめ
...本研究計画書では、私の修士における「モノが氾濫する現代における、人とモノとの向き合い方に関する研究」について述べた。特に、社会全体が電子環境への技術革新へ向けて邁進する現代社会。今後ますます「便利な」技術が生み出されていくだろう。そのような時代で、プロダクトや情報、建築、医療・福祉等の分野では、これまで以上にユーザー行動や思考、感情に近いデザインが求められるだろう。...

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今読み返してもとてもざっくりとした内容で、
最終的にどんなモノを作りたいのか伝わってきませんが、
ユーザーに「考える」という行為をさせたい!
という気持ちを我ながらすごく感じました。
研究会ではこれから『知育玩具』のプロジェクトに参加していくのですが、
そういう意味では選択は間違ってなかったんだなと安心しました。
ただ、私の場合デザインの対象が果たして『玩具』でいいのか、
もっと『道具』に近いものがいいのではないか、という気持ちもあります。
例えば『知育鉛筆』だとか『知育箸』というように、
「使って学ぶ」というモノのデザインにとても興味がわいています。
生活の一部に溶け込ませることで、より自然に知を育むことはできないか。
ここにきてやっとやりたいことが見えてきた気がします。
とりあえず、玩具と並行して研究を進めていけるといいな。計画を立てなきゃ。