093

ここにきて、大学院での研究について悩んでいます。
研究計画書に書いたことを研究するのが当然なのでしょうが、
見直してみるとあまりにざっくりしすぎていて、
そこからなにをアウトプットしたいのか全く分かりません。
(こんな計画書でよく通ったなあと思います...)


ちなみに、大学院での研究におけるキーワードとして


◎紙
◎知を広げる
◎ユーザーへ「考える余地」を与えるモノ
◎ただ「使う」ではなく、「考えて使う」という面白さ

の4つを考えています。


もちろん、使い方が一発で分かるモノは
ユーザビリティに優れた良いデザインと言えるのかもしれません。
ですが、本来人間は考え、知という財産として自分の中に蓄積していき、
それをアウトプットすることでここまで進んできたのではないかと思います。
そこで、使用方法を限定しないことで、
ユーザー自身に(苦痛を与えず)考えることを楽しみながら
モノを使用してもらうにはどうしたらよいのか、
ということについて研究したいと思っています。
そして研究の中で、大学でも研究の大きなポイントとなっていた
「紙」を使いたいと考えているのですが、
果たして「紙」を使うことが適切なのかということに疑問を感じています。
「紙」を使う一番の理由が、「単純に「紙」が好きだから」
というところに問題があるのかもしれませんが...。


「考えて使う」というモノとはどのようなものかと考えたとき、
私は「知育玩具」が一番に思い浮かびます。
ただ、「知育玩具」の場合は、
「玩具」を使って「遊ぶ」ことを通して「知育」することが目的であり、
「玩具」以上の役割を果たすものはほとんど無いように思います。
  

上のネフ社の玩具のように、インテリアとしても美しいものはまた別ですが。


なので、単純に「玩具」ではなく、
「知育」のできる「機能を持ったモノ」を生み出したいと考えています。
そこで、加工性に優れ、人々にとって非常に身近な存在である「紙」を使い、
ユーザーに考える余地を与えるモノを作りたいのですが...。


ここまでを読み返してみると、
やりたいことの軸が定まっていないように感じます。
というか、やりたいことを盛り込みすぎ?
今の段階では、「紙」と「考えること」が柱になっていますが、
わざわざ「紙」である必要がないような気が...。どうしようかな。
なんだかますます分からなくなってきました。
もう一回考え直そう。急がなきゃ。